Cygwin上のRubyでの$LOAD_PATH

自分用メモ
環境はこんな感じ。Windows 7です。

$ uname -a
CYGWIN_NT-6.1 (mypcname) 1.7.9(0.237/5/3) 2011-03-29 10:10 i686 Cygwin

$ ruby -v
ruby 1.8.7 (2011-06-30 patchlevel 352) [i386-mingw32]

$ ruby -e 'puts $LOAD_PATH'
C:/Ruby187/lib/ruby/site_ruby/1.8
C:/Ruby187/lib/ruby/site_ruby/1.8/i386-msvcrt
C:/Ruby187/lib/ruby/site_ruby
C:/Ruby187/lib/ruby/vendor_ruby/1.8
C:/Ruby187/lib/ruby/vendor_ruby/1.8/i386-msvcrt
C:/Ruby187/lib/ruby/vendor_ruby
C:/Ruby187/lib/ruby/1.8
C:/Ruby187/lib/ruby/1.8/i386-mingw32
.

LOAD_PATHを追加したい時は

$LOAD_PATH << "/cygdrive/c/Users/foo/bar" #=> ダメ
$LOAD_PATH << "C:/Users/foo/bar" #=>OK

「/cygdrive」ではじまるディレクトリパスではなくて、
Windowsライクなドライブレターから始まるディレクトリパスで指定したらOKみたいです。

What to be is less important than how to live.

この節で言いたいことは以下の一文に集約される。

志とは、何者になるかではなく何をなすかということである。

夢を持つことが大切とはよく聞く言葉である。
アイデンティティ確立に悩むのは若者に限らない。
「自分探し」には笑ってしまう。自分はここにいるではないか。


自分は何者か、と悩むのは無益ではない。
思う存分悩んだらよい。


だが、自分が何者であるのかということは、自分を見つめて出てくるものではない。
私が世界に向けてどのような作用を及ぼしていくのか、という外向きのベクトルを追求する中で見えてくるものである。


夢の実現は、いつか将来ではなく、今日から始まる。
今この時と地続きの夢を手に入れよう。


巷に溢れている耳障りのいい夢に手を出してはいけない。
悪いのはそのような偽りの夢が溢れていることではなく、それに手を出してしまう自分自身である。一時のインスタントな安心と満足を得たいがために。

Javascriptで(Ruby風の)クラスメソッドのような

自分用メモ

目的

使い方

var myClass = new function(){
	this.v1 = 10;
	this.method1 = function(){
		alert(this.v1);
	};
	this.method2 = function(i,j){
		return i*j;
	};
};

注意

  • 定義と同時にnewしているので、(Rubyで言うところの)クラスメソッドのように使える
  • function定義の末尾には「;」が必要

メソッド呼び出し

alert(myClass.method2(2,3));

日本語を書く難しさと楽しさ

何も考えずに書いた場合

お土産を、少しですが*1、今日の午前中*2、工藤さん*3に ことづけましたので、お受けとりください。


一文で済ませる前提であれば、語順のバリエーションは

(1)今日の午前中、(2)工藤さんに(3)少しですが(4)お土産を ことづけましたので、お受けとりください。

4!=24



スマートなのは2文に分ける方法

今日の午前中、工藤さんにお土産をことづけました。
少しですが、お受けとりください。

文を短く簡潔にすることを意識することが大切

あまりに長い文ができてしまったときは、誰でも分けようかと考える。

今日の午前中、うかがったのですが、留守とのことでしたので、少しですが、工藤さんにお土産をことづけましたので、お受けとりください。

今日の午前中うかがったのですが、留守とのことでした。
工藤さんにお土産をことづけましたので、少しですがお受けとりください。


中途半端な長さの文ができたときは、「文は短く」と意識している人でなければ、分割という選択肢を思いつかない。

*1:つまらないものですが、も可

*2:先日、も可

*3:近藤さん、遠藤さんも可

【ネタバレあり】イギリスと新天地アメリカと人生の再出発

最近、シャーロック・ホームズの短編を何本か読みました。*1

http://homepage3.nifty.com/coderachi/holms/advn/advnx.html
http://homepage3.nifty.com/coderachi/holms/advn/advn1.html


以下、ネタバレありです。*2

人生の新天地アメリ

ホームズを見事出しぬいたアイリーン・アドラーは、恋人と共にアメリカに旅立って行きます。

アメリカに旅立つ」ことが持っている意味はいったいなんでしょうか?

それは、今までの人間関係をリセットして、新しい人生を出発することにほかなりません。

「もう人間を辞めるしか無い」と思うような失態をしてしまったとき、そのような選択肢があることは大きな救いです。

歴史的にも、イギリス→アメリカの移住にはそれほど大きなハードルはなかったのでしょう。

日本・・・同じ島国でも

ひるがえって日本(人)を考えてみると、見知らぬ土地で再出発という選択肢は浮かびにくいのではないでしょうか。

日本国内ではだめです。詮索好きの日本人に囲まれていては、本当の再出発はできません。

しかし、海外で再出発というのは、無意識のうちに選択肢から外れている人がほとんどでしょう。

結論

どんなところでも、人は生きていけるということです。

死ぬという選択肢はないのです。

*1:そんなヒマは無いはずなのに

*2:たいしたネタではないですが

geditでタブ文字を可視化する

http://wintoubuntu.iza.ne.jp/blog/entry/2148497/

私的メモ

set of plugins for geditというのをインストールして、geditの設定画面から「空白文字の表示」というのを有効にする、と。φ(..)

ストレスは「責任÷権限」に比例する

心の病30代が突出:権限ないのに責任増加|「うつ」の心に癒しを。

責任が大きいほどストレスは大きく、権限があるほどストレスは小さいでしょう。*1

もしも、自分の時間を自由に使えないほどに権限が制限されているのに、一人前の仕事をすることが期待されているとしたら、大きなストレスでしょう。

食口は信仰というものが有りますから、ストレス耐性は一般的には強いと思いますが、それでも限界はあります。

*1:別に威張り散らせるからではなく、職務遂行がより容易になるからです。念のため