「そもそも論」も時には有用
「あとで新聞」経由で以下のような記事に出会いました。
おそらくはてなブックマーク人気エントリーにもなっていたはずです。*1
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110707/221345/
思い切って要約すると、
- エアコンを止めてみたけど、特に不快ではない。
- そもそもなぜエアコンが必要だったのか。
- 暑いと人の生産性は落ちる
- 気温の上昇に抗って生産性を維持しようとすると、「暑さ=不快なもの」になる。だからエアコンが必要になる。
- 生産性を維持しようとしなければ、エアコンがなくてもそれなりに快適。
「そもそも、エアコンが必要になってる原因を絶ち切ってしまえばいいじゃん。暑いんだから、『あち〜』って言いながら昼寝してたらいいんじゃね?」ということです。
このような「そもそも論」に対する素直な反応は
「確かにそうだけど、それを言ったらおしまいでしょ」「確かにそうだけど、その意見はぶっ飛びすぎでしょ」
といったところでしょうか。
筆者のような職業だからこそできることであり、皆がこれをすぐに実践できるわけではありません。
けれど、ふっと肩の力を抜いてくれる効果はあります。
的外れの「そもそも」ばかり言う人は嫌われてしまいますが、こういった「そもそも」を考えてみることは無駄ではありません。
一番奥底深くの原因はいったい何なのか?それを見極めることのできる能力は貴重です。
トヨタのカイゼンにおける「なぜを5回」というのも、根本の原因を取り除くことの大切さを説いています。
やれすだれだ、やれスーパークールビズだ、といった対症療法ばかりが聞こえてくる中にあって、こういった非現実的な「そもそも論」が逆に新鮮に見えたお昼のひとときでした。
*1:少し前からインプット情報を絞ることにしていて、ソーシャルフィルタードな情報源は「あとで新聞」だけにしているもので